牛山純一さんのこと
BS朝日の「牛山純一20世紀映像遺産」。故・牛山純一氏は、1960年代以降に活躍した、日本ドキュメンタリーの草分け的存在だ。その様々な作品をアンコール的にいろいろ見せている。
私がまだテレビとは関係なかった時代のこと。当時まだ学生だった私は、劇団員ということで、いろんなバイトをしていた。その中のひとつに「日本映像記録センター」という制作会社でのバイト仕事があった。短編映画のあらすじ文章を読んで、その字数を短い文章に書き換えるというもの。
真夏のかなり地味な仕事。十数名の同僚たちと、そのバイトをした。その時、現場の上司があまりにも横暴な態度を取るので、バイトを代表して抗議した。すると、その上司に「お前は、クビだ〜!」と言われた。
ところが、往生際の悪かった当時の私は粘った。「契約期間が終わってないのに、あなたの好き嫌いだけで、クビになるというのは不合理だ!」とかなんとか、うるさい小理屈を並べた。実際、ものすごい貧乏だったので、クビは困った。
すると先方はさらに激高して怒鳴った。「そんなこと知るか!」と。私も負けじと半べそをかきながら言い返した。「そんなこと、絶対に認めません!」職場をとてつもなく嫌ぁな空気が包んだ。
その時だった。奥から人の良さそうな丸顔のオジサンが出てきて言った。
「まあまあ、待ちなさい」
それが、この会社の社長、牛山純一さんだった。彼は、「(私のバイト契約の)残り日数、自分が面倒を見るから」と言って、私を彼の社長室まで連れて行き、その隣の秘書室みたいなところに座らせた。
そして、簡単な仕事をあてがった。いくつかのルールに従って新聞記事を切り抜いてスクラップするとか、そんな仕事。たぶん、どっちでもいい仕事。
以来、バイトの残りの日数の三日間を、おもにこの部屋で過ごした。なぜかその部屋には、社長以外に社員がいなかったので、社長が会社にいる間はずっと、二人きりだった。たまには、まるで秘書みたいに電話応対もした。
昼飯は近所のレストランだった。慣れない高級店のメニューにアワアワしてたら、「私と同じものにしなさい」と言って、特上のヒレステーキを注文した。驚いた。そんなもの食べたことも、見たこともない。そんな時代だった。食前酒には、シャンパンまで出た。あ然とした。
別の日には、某女子大に付き添った。彼はその大学に授業を持っていて、いきなり彼の講義の助手をさせられた。タイミングが来たら教室の電気を消して、私がボタンを押すと映写機から映像が流れて、教室のスクリーンに映し出された。
大島渚監督の「忘れられた皇軍」とか、ベトナム戦争従軍もの、などなど。とにかく、衝撃的な凄いドキュメンタリー作品ばかりだった。どの作品にも、彼、牛山純一さんの名前がプロデューサーとしてクレジットされていた。
ただの人のいいオジサンだと思ってたこの人、牛山さんの凄さを初めて認識させられた瞬間だった。でも、その日が私のバイトの最終日だった。この日の、某女子大での授業を最後に、バイトの日々が終わった。彼は私に握手してから、手を振った。
「またな」
今から30年近くも前のことだ。で、気がついたら、彼は今から12年ほど前にお亡くなりになっていた。結局、本職でお仕事する機会は二度となかった。とても残念!機会があったら是非彼の作品群を見て欲しい。腰が抜けるほど凄いドキュメンタリーが見られる。
※いきなり気候が崩れてきた。秋?まさか?!
※忙しくてなかなか動けないのだが、柴犬&和犬ファンとしては、HACHI、絶対に見なきゃ!
※写真:*istDs
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