空飛ぶクジラの伝説
以前、飛行船に乗った時の感動を、このブログにも書いた。
都内に住んでたり働いてる人なら、覚えているはずだ。今年の春頃、やたらと上空で見かけた、楕円形の柔らかそうな物体のこと。でも、最近その姿を見ることがなくなった。
そう、私があの飛行船に乗ったちょうど30日後、飛行船を飛ばしていた会社、日本飛行船が事業を停止し、自己破産を前提とした債務整理を始めてしまった。だから、その日以来、東京の空を飛行船は飛んでいない。
会社更生法というくらいだから、企業の話である。それを適用されたということは、その企業に何からの財務上の問題があったはずだ。私は専門でも何でもないので、そこには触れることは出来ない。私の知らない世界の話だから。
ただ、運良くあの飛行船に乗ることが出来た数少ない人間の一人としては、残念でならない。あの、東京上空1000フィートで体験した、まるで夢のような時間と空間を二度と体験できないことが残念でならない。
それは不思議な体験だった。たまたま気候が良かったというのもあるかもしれない。東京タワーの遙か上空で感じた、驚くほどの静けさと、頬に感じた優しい風の肌触り。そして、大空の匂い。それらを感じることは、今はもう出来ない。
そして、ひとつひとつ思い出す。あの会社で飛行船のために働いていた人々の顔。機長も副機長も、あの巨大な飛行船を、私の目の前で操縦していた。操縦室なんてないから、客席との間に壁ひとつない操縦席に彼らはいた。
そんなリラックスした距離にいながらも彼らは絶えず、凛とした空気を失うことなく操縦桿を握っていた。無駄な言葉もいっさいなかった。だから、晴海に帰ってきた時、機内の乗客全員で彼らに拍手を送ったのは、単なる儀礼ではなかった。偶然でもなかった。
まだ若い、ちょっぴり小柄なキャビンアテンダントは、毎日この「夢のような体験」が出来ることに感動していた。「何回飛んでも、本当に最高の体験なんです」と。また、晴海の発着場で働く人々も、プロとして緻密で懐の深い仕事ぶりを見せてくれた。
飛行船は、飛行機とは違う。決して陸に着陸することはない。着陸している時も、浮いているだけだ。だから、その際の乗客の乗り降りは非常に危険なものになる。その説明は、乗船時に詳しくされた。そう、飛行船では、係員の指示に従わなければらないことがいくつかある。
そうした危険と隣り合わせの場所で、浮かれ気分の乗客たちを誘導し、時には、彼らに向かって冷徹な指示を出さなければならないことは、とても難しかったと思う。
実際、彼らは、つまり、飛行船を係留する重機に乗ってた運転手も、その周囲で働いていた10名ほどの係員たちも、笑顔こそないが、乗客にとって快適なサービスを、適度に緊張した表情とともにやり遂げていた。不心得者の乗客には、時に優しく注意しながら。
そして、晴海の出発カウンターで発券や手荷物検査、乗船や機内での案内をしていた地上スタッフ達も、適切なサービスを心地よい笑顔と共に成し遂げていた。いかんせん小さな会社だったので、乗船および下船の際にすれ違った、ほぼ全スタッフの顔をだいたい覚えている。
日本にたったひとつしかない飛行船を安全に運航させるために、ぴりりとした緊張感の中で働いていた彼ら。そんな、特殊な能力を持ったプロ集団である彼らが、晴海から一斉に消えた。巨大な飛行船とともに。すべての存在が風のように消えた。そこに今はもうない。そして、いない。
まるで、あの日々、つまり、私が飛行船に乗った日々を含む、都内を飛行船がゆらゆらと漂っていた期間が、すべて幻だったかのように。そのことが、もったいなくて仕方ない。飛行船は単なる乗物ではなかった。風景だった。夢だった。
あの細長い球体の中には、ヘリウムガス以上にたくさんの、いろんな人々の想いが詰まっていた。それを飛ばす人たちの、そして、それに乗る人たちの、さらに、それを見上げた人たちの想い。
いつか、いつの日か、もう一度東京の空に帰ってきて欲しい、空飛ぶクジラの伝説。
※参照…日本飛行船破産で「ツェッペリンNT」解体
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