140文字の外側
たまに職場で、Twitterで最近原発のこととか書いてるけど大丈夫?とか心配してくれる人がいる。正直、大丈夫かどうかなんかよくわからない。てゆーか実は、大丈夫じゃない状況というものも、あまりよくわかっていない。
でも、書かずにはいられない気持ちのままに、たまに、その種のことを書いている。たとえば、こんなのとか。(一部、関係ないのも混じってるけど…)
で、こんなのを書いてると、「いい!」とか「よくない!」とかの返事もたまに貰うことになる。そのいちいちに返事はしない。気が向いた時だけ返事をする。その程度だ。
所詮、140文字の落書きで、それほど重要なことを語れるとも思っていない。ただ、どうしても書きたかった140文字を書いてるだけ、だったりする。
でも、今回のテーマはとても重要なことだけに、もうちょっとだけ、140文字では書ききれなかったことを補足しておきたいとも思う。
貰ったツイートの中に何通か「じゃあ、どうすればいいんですか?」という類のものもあった。悪気なんかじゃない。正義のままに本当に憂えていることがひしひしと伝わる文章で。
正直、私はまだその答を持っていない。ただ、ひとつだけ、小さな希望だけを信じて、たまにTwitterで呟いている。
それは、自分自身がこっそりと感じていること。
推進派による過激なアジテーションにも共鳴できなければ、かと言って、反対派による過激なアジテーションにも共鳴できない。
また、推進派による「反対派への攻撃的つぶやき」にも共鳴できなければ、反対派による「推進派への攻撃的つぶやき」にも共鳴できない。
少なくとも現在、原子力発電がある程度必要なことはわかる。でも、今のままの原子力発電を続けたら1000年に一度の災害なんかなくても、どっかでまたすぐに取り返しのつかない事故が起きる。そのことを、この数ヶ月で確信した。これだけは間違いない。
だから、このまま何も変えないまま、時計の針を前に進めることだけは出来ない。バリバリの推進派でもなく、ガリガリの反対派でもなく、そのあたりに正解はないのか?と思っている。探っている。
そうして、いろんなことを少しづつ勉強しながら呟いている。自分の呟いた言葉がどれぐらい正解に近づきつつあるのか?どれぐらい正解から離れつつあるのかを計りながら。
どうすれば自分にとって、さらに、自分の子供たちとその仲間たち(子供たちの世代すべて!)にとって正しい道なのかを探している。もちろん、簡単に見つかるようなことじゃないのかもしれない。でも、見つけないといけない。
だから、考える。だから、呟く。
※前回紹介した「豆助のぬいぐるみ」や「くもじい&くもみのクッション」が大好評らしい。別に自分の儲けになる訳でもないが、自分にとって血肉のようキャラクターたちがこうして独り立ちしていく姿を見るのは悪い気分じゃない。また、どちらの番組もまだまだ吹けば飛ぶような番組だけに、こうして話題になることで、番組存続の可能性が大きくなってくれることは嬉しい限りだ。ただし、どちらの商品も現在品切れ中だというのが残念すぎる。どちらも局の担当者によると「それほど売れないだろう」という商品らしく、ちょっとづつしか増産できないらしい。そういう意味ではまだまだだ。頑張らねば!
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