別れの季節 その2 〜地井さんのこと〜
毎週金曜の昼は和風総本家の定例会議をやっているが、先週末そこに、まったく予想だにしなかった報せが飛び込んできた。
地井さんが死んだ。
ご存じのように、地井武男さんは私が構成をしている番組「和風総本家」の顔、看板と言ってもいい存在である。結果として同番組は、地井さん最後のレギュラー番組になってしまった。
実は先週の会議でも、訃報が届くまさに直前に私は「地井さんが帰ってきたら、この企画はすぐにやって貰おうよ!」とか平気で言っていた。笑顔で普通に言ってた。それぐらい、近いうちに帰って来るだろうと信じていた。ところが…
金曜日の午前、地井さんが帰らぬ人となった。前々回のブログにちょうど、地井さんのことを書いたばかりだった。あそこに書いた言葉は、確か去年の新年会の会場で出た言葉だった。
地井さん「本当にやりたいことがあったら、遠慮なく言ってくれよ。
俺はやるよ。もちろん、言いたいことも言うけどね。」
当時番組は、視聴率が悪かったために打ち切りの危機にあり、試行錯誤を繰り返していた。そこで、出演者の皆さんにもいろんな新企画に挑戦して貰っていた。そんな中で、自ら挑戦する某企画について「実は、質問があるんだよ!」と新年会の席上で地井さんが言い出した。
そこで、チーフ作家である私が地井さんの隣に行って、企画の意図と狙いについて説明した。すると、私みたいなチンピラ作家の言葉でも、地井さんはしっかりと聞いてくれて、いくつか質問をぶつけてきた後、納得した地井さんが吐いた言葉、それがさきほど書いた「本当にやりたいことがあったら~」だった。
正直、番組が苦戦している真っ最中だっただけに、この言葉にどれほど助けられたか!おかげで、番組は試行錯誤の末に数ヶ月後に数字を復活させることが出来た。とくに、あの時の地井さんには、いくら感謝してもし感謝し尽くせない苦労をして貰った。
その後も、地井さんとはしばらくお話しをさせて貰った。本当に気さくに何でも話してくれる人だった。一番覚えているのは、「普段DVDとか、どんな作品を見てるんですか?」という質問から始まった以下の会話。
地井さん「最近はとにかく、笠智衆さんのDVDを見てるね。
鞄にもいれてて、仕事の合間とかも、とにかくたくさん見てるね。」
私「何か理由はあるんですか?」
地井さん「理由?理由なんか別にないけどさ、笠智衆さんの芝居を見てると、
勉強になるんだよ。だから、たくさん見てるね。」
私「もしかして地井さんはこれから、笠智衆さんみたいな俳優を
目指してたりするんですか?」
地井さん「いやいや、そんなの、畏れ多いよ。だから、ンなことは、ないよ。
全然ないよ。だけどさ、見てると勉強になるんだよね、笠さんの芝居は!」
最後まで人なつっこいあの笑顔のまま誤魔化されたけど、69歳(当時)という年齢にも係わらず、未来を見据え、絶えず勉強を欠かさない地井さんに、とにかく感動した。他にも、散歩ロケの極意など、普段は聞けないような話をたくさんして貰った。気軽にたくさんお喋りさせて貰った。
地井さんとは、この種の宴会や祝賀パーティぐらいでしか会わない。そう言えば、今年はどうだっけ?…と思ったら、最後のチャンスだった昨年末の忘年会を私は別仕事のために欠席していた。万難を排してでも、どうして行かなかったんだろう?悔やまれる。
最後に改めて書く。
和風総本家にとって、地井さんは本当に欠かせない存在だった。無名のアナウンサーを司会に据えると決めた番組の企画段階から、あの場所には地井さんしかいないと思っていた。そして、その期待に地井さんはいつも答えてくれた。それどころか、いつ消えてもおかしくないこの番組をここまで育て、支えてくれたのは、地井さんの顔と人柄と巧みなテクニックだった。
本当に、ありがとうございました!
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