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2014.07.02

誰かの未来。

 数日前のツイートに、たくさんのRTがついた。これだ。

@ito3comとても素敵なCMが消えていく。もうわからない。僕たちは何かに抗議しながら、どんな未来に向かっていくんだろう?RT @EQLAIR_jp 批判が相次ぎ打ち切りになった東京ガスのCM「母からのエール」篇が胸に突き刺さる http://goo.gl/WqpwGa

 このツイートについては、ちょっと書き足りていないところがある。

 それを書く。

 もちろん、この打ち切りになった東京ガスのCMがすべてのきっかけだった。とくに、お弁当シリーズなど、東京ガスのCMにはいつも感動させられてきた。

■東京ガスの泣けるCMを集めました

 ただし、ツイートに「僕たちは何かに抗議しながら、どんな未来に向かっていくんだろう」と、恥ずかしいぐらいにポエムな一文を書いたように、このツイートは今回の東京ガスのCMそのものについて何かが言いたかった訳ではない。

 「抗議によって作品が消えていくという最近の風潮全般」について、言いたいことがあってこれを書いた。

 もちろん、抗議によって作品が消えたり改編されたりするという現象そのものを完全否定するつもりはない。ただ、個々の理由により次々と作品が消えていくという最近の現象について、複雑な気持ちになっている自分がいる。

 はっきり言って、作品というものは、Aさんにとっては死にたくなるほどの酷い作品かもしれないが、Bさんにとっては自殺を思いとどまるほど素晴らしい作品かもしれない。だとしたら、この作品をどうこうする権利は、いったい誰にあるのだろう?

 もちろん、これは一般論だけで語れるような簡単な問題ではない。ひとつひとつ各論が語られなければならない。そして、ひとつひとつそれらが検証されるべき問題だということはわかる。

 でも、と思う。

 各論が限定的で例外的なうちはいい。でも、各論がどんどん巨大化して、流行となり、猛威をふるう世の中を想像してみる。地球上のさまざまな人々のさまざまな事情により、さまざまな作品がどんどん消されていく未来。

 そうやって生まれた世界は、いったい誰が望んだ未来なんだろう?各論では誰もが望んだ未来だったはずだ。でも、総論としてそれは、本当にみんなが望んだ未来なのだろうか?

 とても、とても複雑な気持ちになる。

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