めちゃユルが見つけた道
「めちゃユル」という、「めちゃイケ」のスピンオフ番組を始めて、1年以上が過ぎた。そして今、この番組は、いくつかの諸条件を受けて、過渡期を迎えつつある。そんな中、今さらのように思っていることについて書く。
一番思うこと。それは、「めちゃユル」の配信を始めた当初には考えもしなかったことだ。でも、この感覚を感じるのは、実は初めてじゃない。ずいぶん前にも感じたことがある。それは、今から20年以上の前のことだ。
その頃、つまり、「めちゃイケ」が始まった1996年当時、テレビ界は80年代のお笑いブームに飽きかけており、バラエティ番組の世界では「スタジオコント」という概念から逃げ出したがっていた。そんな時代背景の中、「とぶくすり」の時代からスタジオコントに徹底的にこだわってきた番組「めちゃイケ」は、当時の若者たちの熱い支持を受けながらも、非常に危険な状態にあった。
もちろん、そこに出演する新鮮なタレント達への期待は強かった。だが、スタジオコントというスタイルは時代に逆行しつつあった。そんな中で苦労しながら「めちゃイケ」が見つけていくことになるのが、ヨモギダ少年愚連隊に代表される「ドキュメンタリー×コント的展開」のスタイルだった。
ドキュメンタリーという緊張感の中で強引に実現するコント的展開には、スタジオコントにはない、まったく新しいドキドキ感が生まれた。ここから「岡村オファーシリーズ」など、のちの「めちゃイケ」のヒット企画が次々と生まれた。こうして、この番組のスタイルと呼ぶべき骨格がついに完成した。
それから20年以上たった今、長く続いたお笑いブームに飽きた2010年代中半の日本に「めちゃユル」が誕生した。最初は、インターネットを使った可能性の模索ぐらいの気持ちで始めたネット配信番組だった。だが、伝説の第3回配信「ニコニコ超会議生中継」あたりから、番組は新しい可能性を模索するようになった。
「めちゃユル」は最初、ネットに慣れていないタレント・岡村隆史がネット番組を配信しながら、その中で普通なら会話しないような異色の人物と2ショットで会話することから生まれる新鮮な世界を目指した。だが、ニコニコ超会議の大パニックの会場に、無防備のまま、岡村隆史と生配信チームが飛び込んだあの日に、番組は新しい方向性を発見した。
かつて「めちゃイケ」が、コント氷河期の時代に「ドキュメンタリー×コント的展開」という新しいコントのスタイルを見つけたように、「めちゃユル」はこのあたりから「生放送×コント的な展開」という新しいコントのスタイルを見つけつつある。
「どうなるかわからない場所」から配信される「どうなるかわからない生放送」の中で、「絶対にうまくいくはずがないようなコント的展開」を実現する。それが成功しようが失敗しようが、すべてを正解にしようとしてしまう異常な番組。天才タレントと天才ディレクター、そして天才技術スタッフ達が勢揃いしたことで、奇跡のネット配信番組が生まれた。
※と、書いたばかりだが、今回(第16回)の「めちゃユル」は、久しぶりにスタジオ中心の配信になる。「輝け!本当は面白い芸人決定戦」。かなり面白くなりそうです!
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