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2015.04.27

ヂロウ物語 その2

 さて、最初に体調の異常を感じたのは、2014年の暮れ、12月15日(月)頃だった。

 この頃から異常を感じて、これはおかしい!絶対に何かが起こっていると確認して肛門科に駆け込んだのが20日(土)の午後だった。そして、徹夜で大量の〆切をあげつつ、また、夜明けにネットで情報をゲットしつつ、自宅にほど近い別の肛門科を訪ねたのが、22日(月)の午後だった。

 ここからは急展開に話が進む。

 年末が迫っており、そうなるとこの病院も休みになってしまうこと、一方患者である私は、年末に大きな仕事がいくつかあり、また、年始には家族で故郷に帰省する予定もあったので、医師はここで決断を下した。

「伊藤さん、正式な手術は年明けにするとして、出来るだけ早く膿を抜いちゃいましょう!」

 そして、先生はあっさりと提案した。

「明後日の朝、膿を抜いちゃいましょう。どうですか?」

 二日後!あまりに早い急展開だったが、私の頭の中は、その展開の速さよりももっと別のことで一杯になっていた。それは、数日前に訪れた東京の左半分にある肛門科での医師の言葉だった。

「この応急処置の場合はちゃんとした麻酔医は呼べないから、私が麻酔をやる。簡単な麻酔でやる。だから、痛いよ。それなりに痛い。覚悟しておいて!」

 この日は東京の右半分にある肛門科だったが、先生はほぼ同様のことを言った。

「伊藤さん、明後日には膿を抜くんだけど、これは麻酔医を呼べないから、麻酔は私が簡易的にやる。だから、正直、痛い。かなり痛いよ。大丈夫?」

 でも、ここで、大丈夫じゃない!と言う勇気も私にはなかった。

 先週末から、まるで風船のように、お尻の中で膨らみつつあった悪魔の時限爆弾を一刻も早く抜いて欲しかった。そうすれば、年末の大仕事も乗り切れそうだし、年始の帰省も何とかなりそうだ。先生もそれを保証してくれた。

「膿さえ抜いてしまえば、とうぶんは大丈夫だ。年明けにはちゃんと手術しないと意味ないけど、年末年始にお尻が大変なことになる可能性だけは止められるし、痛みも止められる!でも、痛いよ」

 結局、私はその場で、まるでプロポーズをされた花嫁のようにしおらしく「お願いします」と願いした。

 そして二日後の朝。奇しくもその日は12月24日(水)、そう、クリスマスイブの朝だった。前夜にはお風呂でお尻をキレイにしてから肛門科に向かった。なんてクリスマスイブだ!?

 その日の朝、簡易的な麻酔から始まった。かなり恥ずかしい手術着を着て、かなり恥ずかしい格好をしてから手術を受ける。人生でもこれまで経験したことがないくらいに恥ずかしい気分でサンタクロース、もとい、先生の到着を待つ。

 でも、待ってるうちに、恥ずかしさなんてどっちでもいい気分になってきた。まもなく「それなりに痛い緊急処置」がやって来る。そっちの方がいやだ。怖い。恥ずかしがってる場合ではなかった。

 でも、私の予想はちょっとだけ甘かった。先生が言った。

「では今からまず、麻酔の注射を打ちますね」

 そうだ。緊急処置の前に、麻酔の注射を打つ必要があった。しかもその場所はお尻だった。しかも!

 忘れもしない。お尻に注射って、具体的にどこに注射を打つのかな?とか考えてたら、針は意外な場所にやってきた。お尻の穴のすぐ横あたりに注射針がやってきた。なんてことだ!?なんてクリスマスプレゼントだ!?

 その直前に、その痛みを和らげる予備処置もあったが、あんまり関係なかった。お尻の穴のすぐ横に侵入してくる注射針は、予想以上に痛かった。「ちょっとだけ我慢してね」と言われたが、恥ずかしながら声を出してしまった。だって、痛いんだもん!

 それからしばらくて、麻酔が効いてきたことを確認した上で、お尻から膿を抜く作業が始まった。だが、あらかじめ告知されていたように、この麻酔は「完全」じゃない。もちろん、効いてはいるので麻酔ゼロという訳ではないのだが、痛みゼロではない。

 やっぱり痛い。それなりに痛い。

 しかも作業は、お尻の程近くに穴を開けて、そこから膿を掻き出す。文字通り、掻き出す作業だ。麻酔がそれなりに効いていても痛くないはずはない。ガリガリガリガリと中身を掻き出しているのを感じた。とは言え、途中で止めて下さいと言う訳にもいかず、結局、ウーウー唸りながら、緊急処置は終わった。

 緊急処置はそれなりの痛みを伴ったものの、膿を抜いて貰ったことで、お尻のピンチは劇的に回復した。具体的には、お尻の中でじわじわと膨らみつつあった風船爆弾が消えて、同時に、原因不明の高熱も出なくなった。正確には、お尻に手術後の軽い痛みなどは残っているが、基本的に仕事が可能になった。

 その後、お尻に薬やら何やらを塗られ、ガーゼやらなんやらをあてがわれて、私は肛門科を後にした。お土産に、大量の薬も貰った。上のお口から飲む薬、塗る薬、下のお口からから入れる薬などなど。とんでもない大量のクリスマスプレゼントだ!

 そして、この緊急処置(膿を抜く)を終えて。そこで、このまま私のお尻は越年することになった。さらに、正式手術の日取りも決まった。いくつかの仕事の関係と、先方の病院のスケジュールから、それほど多くの選択肢はなかった。およそ一ヶ月後に手術をすることがこの日、決まった。

 以来、「嵐の前の静けさ」のような日々が続いた。

 緊急処置の後は、普通のお仕事もこなしながら、緊急処置の二日後には雑誌「Quick Japan」の「テレビ・オブ・ザ・イヤー2014」のための放送作家座談会、六日後には「輝く!日本レコード大賞」の生本番にも立ち会った。他にもいくつかのイベントに参加したり立ち会ったりしたが、なんとかなった。

 すべては緊急処置のおかげだ。もちろん、お尻にメスを入れた訳だから多少は痛い。でも、それはあくまで処置の名残であって、痔瘻という病気のための痛みは最小限で済んでいた。

 そして年が明けた。2015年。年明けには家族と一緒に故郷大阪にも帰り、そこから奈良旅行にも行った。奈良では家族を連れて市内をそれなりに歩き回ったし、最終日には人力車にも乗った。が、大丈夫だった!

 あの、麻酔の薄い緊急処置を堪え忍んだおかげで、素晴らしい年末年始を過ごすことが出来た。

 年が明けて、1月6日(火)からは、通常業務が始まった。会議だ、〆切だ、の日々だ。今年は少しだけ移植の仕事もあって、一月の第二〜三週には、今回構成で係わったテレビ東京の深夜ドラマにチョイ役で出演したりもした。

 チョイ役とは言え、かなり長時間の撮影が二日間に渡ってある。いわゆる会議仕事とは違うこのロングランの仕事に私のお尻は耐えられるのか?実は発症以来、この撮影のことがとても心配だった。だが、この20数年ぶりの冒険も無事終わった。

 実は、前年末の発症以来、私はTwitter等で、この病気のことについて具体的な記述をしていなかった。理由は簡単である。私にとってあまりにも切実な問題だったので、軽い気持ちで文章にすることが出来なかったのだ。

 なので、Twitterでは、本当に「ほのめかす」ぐらいのことしかしていない。

 例えば、始めて肛門科に行って「痔瘻」を告知された日の翌日、自宅で大量の〆切を書いてた頃の呟きにこんなのがある。

 その翌朝、月曜日に改めて肛門科に行く前の未明には、こんな呟きが二つほど。

 「21/34」というのは、その朝書いていた台本の分量のことだ。その翌日にはこんなことを呟いている。結構、精神状態が不安定だったのだ。

 そして、緊急手術の日にはこんな言葉を呟いている。とてもクリスマスイブとは思えない言葉だ。

 あの日の、偽らざる気持ちだったんだと思う。

 そして、緊急処置の二日後、ようやく落ち着いて来た私は、少しだけ明確な表現で呟いている。

 大晦日の夜には…

 年明けの奈良旅行ではいっさいこのことに触れていない。

 とにかく、穏やかな一ヶ月間が終わって、あの日がやってきた。そう、運命の1月23日(金)の朝が来た。

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