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2016.10.19

手術の話(4) 〜手術直後〜

 今回は手術直後からの数日間、私が何を感じ、何と戦ったかについて書く。いよいよ最終章。

 先日アップした一回目は、入院までの話。次にアップした二回目は、入院初日の話。次にアップした三回目は、手術直前の話。今日アップした四回目は、手術直後の話。

 気が付いたら私は、自分の病室に運び込まれている途中だった。病院の床をストレッチャーだかなんだかが走ってる。そんなうっすらとした記憶だけが一瞬輝いた。が、その記憶もすぐに消えた。もう一度気がついたら私は、病室のベッドの上で寝ていた。横に付き添いの妻がいた。

 つまり、どうやら、手術はすでに終わったらしい。

 2年前の痔瘻の手術の際には、手術が終わったにもかかわらず私は、初めて全身麻酔を経験した人が必ず言うセリフ「これから手術ですよね?」的なことを呟いた。だが、今回はさすがに手術後であることに気づいていた。

 ま、どっちにしてもあっという間に手術は終わっていた。予定通り一時間ほどの手術だったという。そんな一時間の手術で私の体から取り出したゴルフボール大の良性腫瘍の写真を、妻が私に見せてくれた。それは、ボール状の物体を半分に引きちぎった状態だったそうで、真っ白にキラキラ光るその半球状態のゴルフボールは、皮をむいたばかりのライチの実に似ていた。

 つまり、ライチに似た直径4センチ強のゴルフボールが、私の体の中から取り出された。

 正確に言うと、私のお尻の筋肉(正確に言うと、右の中臀筋)の中からそれは取り出された。ところがそれを取り出した私の体は、とくに凹むこともなく手術痕には分厚いガーゼがしっかりと貼られている。さらに、その一部からは太い管が伸びていて、管の先には医療用ジップロックみたいなパックがついている。

 これは手術個所から血やリンパ液が漏れ出さないように、中で溢れ出しそうになったそれらを気圧の力を使って外のパックまで管で導くためのセットで、医師や看護師たちから「ドレーン」と呼ばれていた。血液混じりのそれは、そのままだと見た目もグロテスクだし、持ち歩くのも大変なので手作りの可愛いポシェットのような袋に入れて、首から下げられるようになっている。

 さらに私は、酸素マスクをつけていた。自分ではとくに酸素が足りないという意識もなかったが、術後6時間ぐらいはつけているようにという指示が医師から出ていたらしい。あとは、左手の甲に点滴がついていて、痛み止めの抗生物質と水分補給用の水がここから私の身体に補給されていたと思う。

 あとは、エコノミー症候群防止のためのストッキングの上から、同じくエコノミー症候群防止のための特殊な装置を装着されていた。それはちょうどエアクッション型のフットマッサージ機に似ていた。要するに、一定時間ごとに左右のふくらはぎを締め付ける二つの器具がそれぞれ装着されていた。

 以上が、当時の私の身体に装着されていたアイテムのすべてである。だが、私がこの時、もっとも意識していたのは、これらのアイテムではなかった。この時、つまり、手術直後の私がもっとも意識していた相手は、実は「尿」だった。別の言い方をすると私は、この時すでに「尿道カテーテル」と戦っていたのだ。その数十分前にはその装置を取り外していたはずなのに…。

 どういうことか?

 簡単に説明しよう。手術中の私は全身麻酔をしていたので、それと引き換えに、尿道カテーテルという名前の管を、自分の尿道に入れられていたらしい。たった今、「らしい」と書いたのは、すべてが伝聞だったからだ。私に全身麻酔がかかると同時にそれは装着され、全身麻酔が溶ける前にそれは抜かれていた。じゃあ、もう関係ないじゃん?

 ところが、である!

 私が意識を取り戻した時にはすでにそれは抜かれた後だったが、私の尿道には、尿道カテーテルの名残がしっかりと残っていた。では、その名残とはどんなものか?簡単に言うと、激痛である。しかも、尿が尿道を通るたびにそれはやってきた。信じられないほどの痛みとして。

 しかも、この頃、手術を終えた私の膀胱は、大量の尿を製造中だった。しばしば私の膀胱が尿を製造し、それを体外に出そうとするたび、尿道カテーテルの痛みが私を襲った。あの痛みは何に例えたらいいだろう?

 自分の尿道に、そこらに落ちていた枯れ木をそのままぶちこまれたような、そんな拷問のような痛みである。

 伝わっただろうか?

 痛い!とにかく痛い!

 おまにこの時の私は普段の私とは違う。手術直後の、酸素マスクやら点滴やらエコノミー症候群防止装置やらがついてる私は、これらの器具が外れるまでの間、自由にトイレに行くことが出来ない。人生で初めて「尿瓶」(しびん)様のお世話になることになっていた。

 尿瓶とは、アレだ。21世紀になっても、20世紀と同様のフォルムをしているアイツだ。それほど完成した製品、尿瓶である。よく見るそこには、とても愛らしい手作りの蓋がついていた。

 まあ、そんな尿瓶を使うこと自体は、特別難しくはない。何度か使っているうちに、すぐに慣れる。おまけに、ベッドは電動の可動式ベットだったので、上半身にある程度の角度をつけるだけで、尿瓶との相性はかなり良くなる。オシッコは格段に出やすくなる。

 ところが、問題は「尿道カテーテル」である!

 手術前に、同様の手術経験者である知人が「(尿道カテーテルは)正直つらかった」と言っていたのを思い出す。手術の直前、担当医師も「(尿道カテーテルは)どうしますか?」と聞いてきたのを思い出す。だが、当時の私は本当のつらさを知らなかった。医師の「まあ、カテーテル自体は全身麻酔で寝ている間に装着して、起きた時には外しちゃってますから、気づかないと言えば気づかない人もいるくらいで」という言葉を信じた。

 が、尿道カテーテルの本当のつらさは、そこじゃなかった。装着の痛みがなくて、装着中の痛みがなくて、脱着の痛みがなくても、抜いた後の信じられないほどの痛みが半端なくやってくる。個人差もあるんだろうが、私の場合は、抜いた後のオシッコの痛みがたまらなく厳しかった。

 オシッコをするたび、尿道を通るたびに信じられないほどの激痛が襲ってきた。正直泣きそうだった。というか、オシッコをしながら、ほぼ泣いていた。

 しかも、この夜はいつにもましてオシッコの出が悪く、そのため、何度も何度も少量のオシッコをすることになった。そのたびに痛みが襲った。最後の絞り出しの際にも痛みが襲った。しかも、それが苦痛だったので、私は水分補給を極度に抑えた。おかげで、夜明け頃になって、オシッコの量が減ってきた。

 すると、夜明け頃に看護師さんが来て言った。「伊藤さん、お水やお茶、どれぐらい飲みました?」私が正直に「あんまり飲んでません」と答えると、看護師さんがそれに答えて言った。「お医者さんから言われてます。水分補給の点滴ですが、伊藤さんがお水をちゃんと飲んでいればこの一本で終わる予定でしたが、伊藤さんが水分をしっかり摂っていないので、もう一本点滴してもらいます」

 私自身のせいで、夜明けの罰ゲームが始まった。

 という訳で、点滴の水分補給が復活したことで、いったん解放されかけたかに見えた尿意が再び滝のように襲ってきた。と同時に、尿道の痛みが再び襲ってくるようになった。このせいで、この夜、手術の夜は本当に、1時間おきに目を覚ますことになった。しばしば看護師さんが様子を見に来てくれるせいもあるが、それ以上に、オシッコと尿道のことで、この夜の私の頭と膀胱は一杯だった。

 実を言うと、夜明け頃、私の頭を占めていたのは、オシッコのことだけではなかった。というのも、手術後の患部はかなりの高熱を持っていた。だから、それを冷やすために、大きな氷枕が私の右の腰のあたりに添えられていた。これは当然冷える。さらに、点滴で大量の水分を補給していた。

 さらに私はもともと下痢症だったりする。結果、私のお腹は、食事を24時間以上摂っていないにもかかわらず、わずかな下痢の気配を感じていた。そして、皆さんは覚えているだろうか?手術直前に下剤を飲んだにも係わらず、私は用を足すことが出来なかったという事実を。あの時のツケが、ここに来て復活、便意として襲ってきた。

 その下痢の気配は、まるで泡のような儚い存在だった。だが、もしも今それがやってくると、私にはとってとんでもない危機になる。どういうことか?

 というのもこの夜の私は、すでに夜半過ぎ、酸素マスクが外れていたが、患部からドレーンを出してる上に、左手の甲に点滴をしている。さらに、両足にはエコノミー症候群防止器具をつけている。つまり、歩いてトイレに行くことはまだ禁止されていた。

 ここでもし、私が大きい方の便意を催した場合について、すでに私は看護師さんに質問してあった。「その場合、どうしたらいいんでしょうか?」すると看護師さんは優しい笑顔で答えてくれた。「伊藤さん、大丈夫です。寝たまま出来る器具がありますので、それを使ってもらいます」…大丈夫なわけがない。以上の返事を聞いて、私の頭の中に「プライド」と呼ばれるものがムクムクと頭をもたげてきた。

 すでに尿瓶の処理をお願いしている身で今更なんだと思われるかもしれないが、ベッドの上で大便するという行為には、尿瓶の処理以上の挫折感が伴いそうだった。正直、私はそっちの方が恥ずかしかった。なので、必死に我慢していた。そして、トイレに行くことが一刻も早く許されるようになって欲しい。ただただ、それを待ち望んでいた。

 そうこう考えるうちにも、氷枕のせいでお腹はどんどん冷えてくる。そして、尿道が悲鳴をあげるようなオシッコをたびたびした。だから、何度も何度も目を覚ました。この夜の私に、安眠などなかったのである。本当に、痛みと恐怖の夜だった。

 そして夜が明けた。

 そして、刻がすべての問題をひとつづつ解決していった。まず、この日の午前中には、最後の抗生物質の点滴が終わった。この結果、点滴が私の左手の甲から外れた。そして、ようやく「ベッドから起きて、トレイに行く」ことが許された。嬉しかったー!これで、ベッドの上で大便をするという最悪の事態だけは避けられた。そして、この夜だけで7回以上は中身を交換してもらった尿瓶とのお別れのときが、お昼過ぎにやってきた。

 さよなら、尿瓶!

 唯一、私の体と外部とを接続するドレーンとそれに繋がるパックの入った可愛いポシェットのようなバッグを首からさげて、私は室内トイレに向かった。私にとっての偉大なる一歩が踏み出された。これからは自由にトレイに行くことが出来る。なんて幸せなんだ!

 ただ、自分の意思と力でトイレに行くことが出来るようになっても、オシッコをするたび相変わらず尿道は悲鳴をあげていた。尿道カテーテルの亡霊はとにかく執念深かった。とにかく痛かった。次に同じような手術を受ける機会があったら、尿道カテーテル以外の選択肢をお願いしてみよう。そんなことばかり考えていた。

 そんな尿道カテーテルの後遺症もその日のお昼過ぎからは、だんだん緩やかになってきた。どんどん痛みは消えていった。そんな午後、私はあることに気づいた。手術の前日、薬の専門家が私のベッドに来て、いろんな薬についての説明をしてくれたのだが、そんな中に術後の点滴についての説明があった。

 そんな中、術後の点滴では、痛み止めの点滴薬を二種類用意しているが、これらは希望しなければ出さない。希望者にのみ点滴に二種類の痛み止めを混ぜるという話だった。ところで、術後の夜、手術患部の痛みは思ったほど激しくなかったので、伊藤はこの痛み止め二種類の点滴をどちらも希望しなかった。

 でも、あとで考えてみると、これらをちゃんと希望していたら、尿道の痛みも消えていたかもしれないぞ。間違ってるかもしれないが、そんなことに気づいた。これはあくまで想像だが、痛み止めに機能制限はないので、たぶん間違いない。失敗した!…と、あとで気づいた。

 次に同様の機会があったら、痛み止めを使うことを我慢しないようにしよう!

 さて、この日のお昼には、エコノミー症候群防止の器具も外れた。同時にそれ専門のストッキングも外れた。その夜には、前夜と打って変わってよく眠れた。爆睡した。こうして患部はどんどん回復していく。水曜日に手術をし、その夜に酸素マスクがとれ、木曜朝に点滴等がとれ、金曜日には患部からの血液等の漏れが少ないと判断されて、ドレーンが外された。

 そして、手術の翌々日はアレが完全に消えた。そう、尿道カテーテルの亡霊である!あの痛みがこの日の朝、完全に消えた。嬉しかった。この日、担当医師が患部に防水シールのようなものを貼ってくれた。そして言った。「伊藤さん、もうシャワーを浴びてもいいですよ」

 そして、土曜日には担当医師が手術跡を確認した。およそ10cmほどのキレイな縫い目からは出血などの様子が見あたらない。この結果、予定より1日早い退院が決定し、日曜日の午前中には退院。担当医師は私の患部からガーゼを外して言った。「もう、ここには何も貼らなくていいですよ」

 こうして私は自宅に帰り、双子と再会し、「シャワーはいいけど湯船はダメだよ」というルールの下、普段通りの日常生活を送ることになった。予定では2週間後に患部の抜糸をする予定。これですべてが解決する。火曜日から始まった5日間の冒険はこうしてひとまず、幕を閉じた。

おしまい。

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